房れいなです。
先日、カウンセラーとして活躍されている方がコンサルにお越しくださいました。
二年ほど前に御縁をいただいて以来、その方にとっての岐路のようなタイミングでお話を伺うのですが、今回はかなりの大モノ♡
今後の展開が今までと随分様変わりするポイントでもあるかなと、きっとご本人もひしひしと感じるからこその「モヤモヤと違和感」を感じていらっしゃったように思います。
本来の感覚と、「これからの自分の人生」という一見壮大に思えるようなテーマを、今現時点の視点ではなく、俯瞰した未来と過去を包括した視点で観ていただけるように、コンサルティングでお話を伺いながらポイントをお伝えさせていただきました。
また色々な視点をシェアさせていただきますね♡
Contents
同じ環境に身を置き続けるのは正解?
今回は環境と仲間についてお話ししようと思います。
例えばいつも一緒にいる人達。
仲間でも友人でもそうですが、ずっとずっとそこにいる全ての人が同じ感覚でいることは難しいのです。
日々感じることも、その仲間内から離れて過ごす時間や、自分のことを考えた時にも、それぞれが違うことを思い浮かべ、未来を選び、過去に思いを馳せます。
同じ方向を向いていたように思えても、いつの間にか道を分かつ時が来るのは、人生をそれぞれが歩んでいる証拠と言えるかもしれません。
一緒にいるのが楽しかったはずなのに
「仲間」という言葉がよく使われるようになっているのかな?と、色々な方とお話をしながら、色々な方の発信を拝見しながら感じています。仲間って、切磋琢磨できたり、背中を押し合えたり、向上しあえるイメージが強いですよね♡
これが、仲間内となると少し話は変わってきます。仲間内でのあれこれ。女性は特に覚えがある人も多いかもしれません。
わたしは女子高に1年と少し通っていたことがあるのですが(その後海外留学に行き、自主退学しています)、仲良しで集まるグループが必ず存在していたのを覚えています。
そしてそのグループは大人になってもそこかしこにあるのですよね♡
グループがダメというわけではありません。仲のいい人が集まることは往往にしてありますし、当たり前のことでもあります。
が、それが「仲間」という名の「フレーム」でもあることに気づく人は、少ないのかもしれません。
もちろん、離れたいのに離れないという形が、あなたにとって「不安ベース」な場合は♪ですよ^ ^
グループから離れるのが少し怖い
いつも同じことについて語り合い、話し合い、お互いを励ましてきた。そんな素敵で気のおけない仲間がいるあなたにとって、チクリと感じた「そこにいる自分」に対する違和感は、初めは気づかないものかもしれません。
もしくは、「こんなことを考える自分が変なのかもしれない…」と感じるかもしれませんね。
さて、「そんなこと」を感じるあなたは、本当に変なのでしょうか?
あなたの感覚が、感覚としてあなた自身の中で湧き上がり、チクリと感じさせているその感覚を、有耶無耶にするのは少々もったいない!!ですね♡
どこに違和感を感じ、そしてその感覚は、あなたがどこ観て感じたものなのか?
ここに大きなヒントが隠されています。
離れたら・・・を感じたら少し怖い、という方が圧倒的に多いかもしれません。色々が考えしまうのですよね、他の人たちが何を思うか。
こんな風に考えてしまう方は多いと思います。わたしはよく考えていました。10代の頃特に。
(わたしは実のところ、グループでの行動が苦手だったことに気づいて以来、そしてグループにいると自分が身動き取れないことが苦しくて、早々に1人を選んでしまいました 笑)
ずっと同じってない
同じ環境、同じ人達。
同じって、楽なんですね。同じだから。というより、同じだと思うから。
実際のところ、どんなに仲のいいグループであっても、それぞれが目指す先や道は違います。当然ですね、人が違いますからね^ ^
いつも通りに感じていても、それぞれがそれぞれの人生を進んでいるのだから、並行も並走も、ましてや競走も本来ありません♡
あなたはあなたの道を進むのみ。
どんなに誰かに気を使っても、誰かと同じに合わせてみても、そこで使った感覚と時間と結果については、あなた以外は誰も責任はないのですね。
責任と言うと、自分が全部悪い、と言うニュアンスを感じる人も多くいますが、責任とは「責を任される」ということ。
自分でどうとでも出来るし、どうにでも変えられるし、自分で自分のことを責任が取れるのです♡
(ラッキー!)
他人主体で物事を決めたり、自分の道を決めてしまえば、人のせいにしたくなるのも当然です。
あなたはあなたの何かを我慢して、同じであることや同じ環境に留まることにしてしまっただけのこと。
同じって、現状維持と同義で使いましたが、現状の維持はつまりは衰退です。
過去に生きることになってしまうから、息苦しくなるのですよね♡
同じって、ありませんから。
安心して、変化してしまって大丈夫です♡
自分で選ぶ自分の道
誰も人の道は決められません。どんなに人が決めたように思っても、最終的な決断をしているのは紛れもなく自分です。
誰かに決められた!!と思っていたとしても、その奥底には「誰かに決められる自分を選んだ」という根本が存在します。
どうせ自分で選んでいるなら、はじめから自分の思いを、自分の選びたい道を選んでも良さそうですよね?♡
流れに乗るか、流されてみるか、どちらも自分の選択と言えます♡
大切なのは「自分で選ぶ」という意識。
たとえ【同じ場所に留まる】という流れを選んだとしても、自分自身でそうすることを選んでいるのなら、人によって決められたことではありません。
どこかのタイミングで、また道を選ぶのですからその間をどう過ごすか?をまたえらぶのですね。
人生は選択の連続
選択が一瞬一瞬を組み上げ、その選択は自分の意識の元から創られます。ということは、どの視点で捉えているか?という部分が明確であれば【選択の幅】が拡がるのですね♡
自分の人生をどうしていきたいのか?
どんな風に過ごしていきたいのか?
どんな変化を起こしたいのか♡
どんな自分になっていきたいのか?
自分で自分を選ぶ許可を、自分に対してのプレゼントとして使っていただくといいかな♡とわたしは思います♡
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